[5.] 絶対性の不法

 善悪とこのように言われ、善と悪は可分であって、その分かたれは絶対性のものである。

 然しながら、例えそうであっても時に人は人の都合でその絶対性の世界からその絶対性を解いてしまうことがある。然しながらそれでも、これもまた人の都合で絶対性と位置付ける悪を設ける、ということも行う。

 悪を絶対性から解き放つその事で言うなら、例えば、物権が設定されていたなら、如何なる者もその権利を侵害してはならず、他人の住居に無断で侵入することは赦されず、他人の身体を拘束し連れ去り監禁する等赦されないことである。然しながら、裁判所が令状を発行するなら国は、住居侵入を家宅捜索とし、窃盗行為を押収と言い、拉致誘拐監禁を身柄拘束の逮捕とし強制連行から留置という事を行う。或いは、如何なる者も他の人間の命を損なうことは厳しく禁じられる。然しながら、国対国の戦争の時は国家はそれを積極的に奨励し、また、国によっては刑罰制度で国家が人の命を奪うことが為されている。そしてまた、条件さえ揃えば要請の阻却と言い正当防衛による人の命を奪うことを正当とするものである。

 然し、ここに絶対性の不法というものがある。制度の中で合法化を図ることもできず、要請の阻却も元より有得ない。

 それは、1社会を滅ぼしてしまう不法である。例えば、非合法的に1国家の社会体制を破壊する活動とその行為は何処の国であれ、如何なる社会体制の国であれ、何よりも厳しい刑事罰を設けていよう。人がこの地球上で何処に身を置こうとも、この事に於ける例外は無い。絶対性の不法行為である。テロと呼ばれ完全否定の不法である。

 同じく、もう一つ確かにある。1社会を滅ぼしてしまう不法が。

 この事に関しても、全く例外を設けることはできない。

 人が人の管理能力を超えることを行う、人の領分を超える事を行うことが、それである。この行為が人が定めた法に抵触する行為であれば最早問答無用の取り締まりの対象になる。つまり、1社会の秩序を破壊し1社会が崩壊してしまう絶対性の不法である。行っていることが不法で、その不法行為が1社会を崩壊させてしまう行為であるなら、最早言葉は簡単である。テロと呼ばれ完全否定の不法である。

 私が、被害の状況から捉え、想像推察している「人の分を超えた不法」は日本国憲法の根幹を成す「基本的人権」を蹂躙する不法行為であり、同じく憲法の「健康で最低限の文化的生活」の保証を蔑(ナイガシロ)にする日本国憲法違反の大罪である。

 もし、この大罪が為されていて、日本の警察が今の今まで取り締まりをしていない、ということであれば、この日本の警察はテロと呼ばれ完全否定の不法を容認している組織となる。言葉を変えるなら、警察不法3点が次々と明らかになってきていた、ということであるなら、全体で28年の歳月の経過となるが、それが取り締まるべきことを取り締まらずであれば、1社会に如何なることをもたらし、如何なる結果を招来せしめるか、その予見が為されていたなら、即ちその警察はその結果をもたらすことを目的に取り締まりをしていない、テロと呼ばれ完全否定の不法の行為者なるテロ組織、となるではないか。

 我が想像と推察で可能性として捉えている絶対性の不法が、もし事実として行われていたなら、何故、日本の警察はその不法を取り締まらないのか。警察以外の者らは、何故その事に関する疑問も持たず警察を追求しないどころではなくその不法を止めようとしないのか。それは、自分及び自分が構成要因となっている1社会の滅びなのである。

 今この日本で、この不法が為され、その日本は一体どのような国となっているのか、分かっている者は居るのであろうか。

 人の営みの全ては当然のことながら、政治もまた例外ではなく、むしろ政治こそ重要な事であり正に当然となるが、事実を確認し、確認した事実に基づき人に於いて必要の事を行っていくのが基本の当たり前である。

 警察不法3点が為されているこの日本国は、その警察不法3点が明るみに出される以前よりこの警察不法3点は為されていたものであり、それ故に今、誰が一体この日本国及び国際社会を断言的にこれが1社会の事実である、と言い得るのか。今、言えることはこのありさまが今の1社会の実情であり、実態である、と言うことだけである。

 警察不法3点が1社会で秘かに行使された時からのその1社会の事実確認を行い、斯くして、国造りのやり直しである。日本国は。

2019/11/24以上_

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