[17.]新国際統治機構”構想 ①

平和憲法、日本国憲法には第九条がある。

武力行使の永久放棄、戦力不保持、交戦権の否定。

然し、国は主権国家として存在し、国家には国を守り維持していく為に必要な自衛権がある。この日本国憲法による日本国はその主権国家が否定される、自衛権不存在の国となっている。

どういう理由なのか。

第二次世界大戦その太平洋戦争の敗戦国日本は、戦勝国アメリカにより日本が2度と軍事力をもってアメリカ等への脅威国とならないよう日本国憲法が起草され、それを基に日本国に於いて日本国憲法が成立した。

然しながら、これに於いては例え日本国からの“脅威”を回避できたとしても、日本国が何時でも他国の武力による侵略を受けかねない事態となるものであり、それは即ちアメリカ等の国益を損ないかねないものとなる危険性を常にはらむこと以外の何ものでもない。故にこの危惧すべきことを解消させたのが、即ち、日米安全保障条約である。

つまり、こうである。

日米安全保障条約とは、憲法第九条によって主権国家として存続し得ない喪失した自衛権を補完する為に取り交わされた日米の軍事条約である。故に、日米安保条約は最初から日本の専守防衛に於いてのみその効果を表す、個別的自衛権に基づいての日本の安全を保障する条約である。

この解釈は、最高裁の砂川判決も正にその事に言及しているもので、日本国憲法と日米安保条約、そして砂川判決には一分の隙も無い見事な整合性を得ているものである。

つまり、

「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。...わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。...わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」

この判決文の下線を引いた箇所が、即ち、日米安全保障条約の成立原因と成立事由である。日本国は、この憲法と日米安保条約をもって主権国日本の安全保障を確立させた国である。それは、専守防衛に於ける自衛権に基づくものであり、その為の交戦権の主体は日本国であるが、交戦権に於ける武力行使の実践は米軍であり、日本はその実践は第九条により厳に禁じられている。この交戦の実践を解く余地は無く、解くなら憲法違反である。

そこで、集団的自衛権行使の可否であるが、最高裁の確定判決“砂川判決”の「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」の「自衛権」とは、日米安保条約に於ける駐留米軍に基づく自衛権であるので、最初から個別的自衛権を大前提にした自衛権であるので、この自衛権の語句から集団的自衛権を導き出す事は全くあり得ず、不可能なものと成っている。故に、集団的自衛権行使を砂川判決から導き出し、それを可能にした、自民党と公明党により為された閣議決定は日本国憲法違反である。

_以上_ 次に続く。

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