[23.]“人の分を超えた事”を行い続けること、とはどういうことなのか

人の領域を超えた事とは、人の能力の中に“因果律”の法則を持てず、然しながら皮肉にも人の能力で唯一の因果律を持つ。

即ちそれは、滅びのきっかけも滅んでいく過程も、滅びに係る全ての事に関し人はその予知も予見も予想も推察も想像もできず、思いもよらないことで不意に滅んでいき、その滅びの制御の能力も持ち得ないで、ということである。然しそれは、その行為を行い続けるなら必ずその1社会は秩序を失いその秩序構成要因なる人が滅ぶ、という必然的因果律である。


人の分を超えた事を人が行うことにより1社会は崩壊をし、人が滅びに至ることの2傾向。何れも制御不能となり暴走の事態である。

 1. 人が開発した技術ではあるが、技術的に人は制御できなくなり、開発した技術が暴走を始め崩壊と滅びに至る...核分裂反応の原子炉等

 2. 人が人社会の摂理に反することを行い人の精神世界に於いて異常な事態となり、精神性に制御が利かなくなり異常な精神の暴走が始まり崩壊と滅びに至る...1社会の絶対支配者が1社会を偶像崇拝の世界にし、絶対支配者が自身を神の如く崇められる対象にした文明社会は、そのまま1社会崩壊と人々の滅びを迎える。異常な社会に挑むように侵入してくる外敵の力も作用して滅んだ歴史上の文明の滅びの史実がこれに該当する


“警察不法3点”は今まで人の社会に存在しない、人にも備わっていない知覚的機能と思われる。この技術的な事と共に、この不法は何処までも人の低俗な好奇心を刺激してやまないものであろう。この2点が相まうものなら、人社会の崩壊と滅びは現実的に相当深刻な事態である。

_以上_

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