[12.]日本共産党の負け犬の遠吠え

相手方のこの言葉の意味は“解散総選挙を行うなら、有権者は我が党を選び、得た結果は野党の主張を退ける”である。故に、その相手方に或る言葉を述べた議員はその相手方の言葉の意味を十二分に理解し語っているものである。故に日本共産党の1議員のこの言葉は“負け犬の遠吠え”である。

・内閣官房長官「野党による内閣不信任決議案提出は衆院解散・総選挙に踏み切る大義になる」

・日本共産党書記局長「解散の大義になるぞと言って脅すのは卑劣だ。それで解散に打って出るなら受けて立つ」

2000年ほど前に語られた言葉「どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。」

「脅すのは卑劣だ」は今はまだ遠方にいる相手方への牽制である。これで相手方が引っ込んでくれたら即ち“和”に等しい。日本共産党は勝つ政治を行ってきていない。勝つとは政権奪取である。

国会の場での現実は全てを決する手法を議員数としている。

凡そ、負けを承知で政局の重大事にこのような事を行うことに一体どのような意味があるのか。国民へのアッピールであろうか。現実の世界では無駄が余りにも多い。“恥を掻いた” が現実の世界である。

大凡、内閣不信任決議案提出の場合、勝つか拮抗か以外は無駄で無意味である。負けの議員数構成の場合、決議案提出の野党は如何に政権与党内から賛成者を得ていくか、の働きこそが重要ということになるが、決議案提出の現野党にその働きはあるのか。報道では皆無。

我々有権者には1票があるが、それよりも遥かに重要なものを国民は手にしている。即ち、法である。

“桜を見る会”が私物化されていた。経費で支出されたお金は公金である。断じて私物化されてはならない公的催事である。故に、“私物化”の事実証明が為される証拠の取り揃えで検察庁に告発できる事案である。個人、或いは市民グループと言われる者らが行うのではなく、国会の場で争っている国会議員がその責任の下で為すべきである。国会議員が政局の問題で国会議員を訴えてはならない、という取り決め、或いは暗黙の裡のルールというものが有るのだろうか。

“モリカケ”問題とて正に同じである。1つは8億円の値引きである。先ずは主管の役人が訴えられるべき事件である。8億円は国民の税金が原資の国庫金である。もう1つは、これもまた国の事業の私物化への嫌疑である利益相反的事件である。

有権者は、1票を投じた政治家に実の有る政治活動を期待し政治家と政治を見ている。

_以上_

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